商店街の歴史

山王商店街の変遷をたどる

お店が少しずつ移り、入れ替わりしながら現在に至る山王。
各時代の面影が少しずつ顔を出しているところがここの町並み面白さではないだろうか。その歴史を追ってみた。

江戸期から明治期

山王商店街のあたりは、江戸時代鶴ケ岡城下の最北端の町人町であり、「荒町」と呼ばれた。
荒町の名称の由来は新町(あらまち)から取られたものか、荒物屋が多かったからかは定かではない。
江戸時代の荒町は下山王社と酒田米船着場に挟まれた商人町として繁盛し、九のつく日には市(三斎市)が立ち、百軒ほどの店が軒を連ねていた。
造り酒屋も19軒(享保15年)と酒屋町といってもいいほどであった。
当町には御用商人の小野田吉兵衛・真島藤右衛門・深沢与兵衛らがおり、界隈図には加賀屋五右衛門の名が見える。
元禄の頃、今の三谷時計店の所に高明院という寺があった。その由来は大正の頃織田徳川と浅井朝倉が姉川の戦いで、浅井の猛将兵柄十郎左エ門が五尺四寸の大刀を奮って戦ったが味方総崩れとなり、遂にそこに討死した。
その子孫が流れ流れて鶴岡に来て家の氏神・地蔵尊を抱えてこの寺を建てたという。

荒町界隈図(東講商人鑑・安政二年刊行)
人形橋(大泉橋)酒田米着船の図(慈悲心鳥)

その事について民俗学者戸川安章先生に伺ったら、その寺は後に山王山伏が住むようになったとの話であった。
いつの頃か、その寺は廃寺となって大昌寺に吸収され、その地蔵は真柄地蔵といわれ現存している。
大泉橋のたもとは市郎治があって、そこは元禄時代中村政栄の屋敷跡で、政栄は数学地学測量学に長じ、有名なのは初めて鶴岡に無尽(=互助的な金融組合)を拡げた人であった。
その向かいに熊谷三郎兵エの家があった。
この人は徳川幕府を転覆させようと由井正雪等と立ち上がって乱を起こしたが、幕府に発見され、大阪から鶴岡に逃がれ、遂に立谷沢で追手に包まれてここで切腹した。
熊谷神社はそこにある。
今の阿部多不動産のある所は幕末の志士・清川八郎の母の実家で、彼はここで生まれた。
八郎の生まれた日は、雷が鳴って物凄い雨が降っていた。雑貨商の店で、町の中でも大きな店であった。

明治期(戦前)

明治・大正期の荒町の商店街は明治21年の営業税納付者名簿で数えてみると86軒の店舗があったとみられる。
明治期は衣料品・荒物・雑貨の商店が多く見られた。
荒町橋は明治九年に大泉橋
改称し、通称眼鏡橋と呼ばれた。大正十年の大洪水で掛け替えの誓願があり、昭和6年に橋の架け替えを行い、現在の大泉橋となった。
大泉橋のたもとに酒田行きの貨物を扱う運送店があって、酒田舟はここで止まっていた。頑丈な大男の船頭達は、舟で生活していて、朝早く行くと釜に米を入れて米をとぐ姿等よく見うけられた。
鉄道の開通前は庄内の二大都市を結ぶ交通の基点として橋のたもとは人と貨物の移動でにぎわっていた。

明治期の店構え(三浦糸店明治36年)(石置き屋根の店構えが特徴)
大正二年の加賀屋の広告

大正13年の羽越線の開通後も活況を呈し、小間物店の草分けの紅繁商店、木村屋総本店より屋号を許された木村屋パン店、古本阿部久などが軒を連ねた。
今のましま駐車場あたりに高井という硝子(ガラス)をひさぐ店があって、裏に回るとそこが工場で、職人達は煤(すす)を身体中につけ、真っ裸で働いていた、その隣は吉井という染物やで、その隣が杓子屋で、八尺木を切って杓子を懸命に作っていた。
その隣は真由という足袋やで、足袋だけ売って生計が出来たよい時代であった。

戦後から現代

戦後の混乱期がすぎると、商品を並べさえすれば何でも売れるといわれるほどの活況を呈し、新規出店もあいつぎ、昭和31年に協同組合山王荒町商店会を結成した。
その後38年に鶴岡山王商店街振興組合と改組して現在に至っている。
翌年には県内初となる地下水を利用した消雪道路が竣工。
当時の調査によると加盟商店数91件、日曜日の歩行者+自転車数は木村屋本店前で13,104人を数え、パチンコ屋が3軒、銀行3行、鶴岡で唯一の洋画専門映画館スカラ座も裏通りにあって、相当な賑わいだった。
その後も当時、鶴岡最大の商品スーパー「まるいち」等の出店や、人気歌手のコンサート企画などの販促活動で隆盛が続いた。

大正頃の山王商店街(大泉橋付近より望む)
昭和五十年代の山王町(山王日枝神社より望む)

しかし昭和40年代後半から、車社会の進展、郊外開発、大型店の進出などで衰退化が進んだ。
近年、この危機を打開すべく山王商店街は活動を積み重ねてきた。
特に平成6年から開催している山王ナイトバザールは毎回多くの人が訪れ市民の間に定着した。
また、「山王わくわくクラブ」を結成し、市民の商店街への理解と応援が広まりつつある。
平成21年頃には、より歩行者を大切にした、歩道と車道の段差のない全面無散水消雪の道路が完成する予定で、商店街再生の可能性が見え始めている。

The 山王ブックレットより抜粋